こんにちは、ショウヘイです。
大学時代、クセのある先生の授業を受けていました。
クセのある先生からは、単位を取るのにコツみたいなものがいりました。
英語の先生。
大学一年の時、第一外国語の英語の授業は、週に3回ありました。
それぞれ先生が違っていました。
つまり、英語の先生は3人いたということです。
そのうちのひとり、ベテランのおじいちゃん先生が、とてもクセのある人でした。
テキストの英文を和訳するのに、完全なる日本語を要求してきます。
「トンネルを日本語に訳しなさい!」とか。
まぁ、トンネルは「隧道」とか訳すんですけど、「トンネルはトンネルで良くない?」と怪訝に思っていました。
その先生は、「大学の英語は正しい日本語訳が必要だ。英会話みたいないい加減なもんは、そのへんの英会話学校で十分だ」みたいなことを主張されていました。
そんなことを言うおじいちゃん先生の授業の予習は、私は丸一日に及ぶくらいの時間を割いてやっていきました。
トンネルのような、普通は日本語に訳す必要のないものも、わざわざ調べたり。
緻密な予習をして、授業に臨んでいたおかげか、私の期末のテストのできは良くて、成績も良かったです。
もちろん、単位ももらえました。
でも、「一つの授業に、そこまで時間をかけることか!」と、ずっと思っていましたがね。
政策学の先生。
「政策学」と書きましたが、正確な授業名は忘れました。
その政策学の先生は、若手の男の先生。
授業は、おもに自動車の安全性みたいなことを取り上げていました。
その授業の後に、たまに感想文みたいなものが課せられていました。
ある日、生徒たちが書いた感想文について、先生が憤慨していたことがありました。
先生の話を聞いてみると、なんでも先生の思っていることに対する反論を書いてきた生徒がいたとのこと。
「反論ねぇ、まぁ、そういうのもあるよね」と私は単純に思っていましたが、先生はそれに対して何故か、おかんむり。
先生の意図に合わない意見や感想に対しては、評価しないとのこと。
生徒の考え方は様々あるんだから、それはそれで評価を下すべきだと私は思うのだけれど、 そういうのが嫌な先生だったらしいのです。
「先生の考え方は素晴らしい!先生エライ!」みたいに、先生の意に寄り添うような意見を好むようなんで、そのような感想文に書くようにしました、仕方なく。
そうじゃないと、ちゃんと単位をくれるかどうかわからなかったので。
そのおかげか、単位はもらえました。
先生への柔軟な対応。
大学の勉強は、だいたいは嫌じゃなかったんですが、そういったクセのある先生に対して、特別な対応をしないといけないってのは、ちょっと嫌でしたね。
特に第一外国語のような必修科目は、単位が取れないと卒業できないですから、必死になるわけですよ。
まぁ、社会に出れば、色んな人と渡り合って付き合わなきゃいけないので、その予行演習みたいなもんだと、今は納得しています。
「先生に対して柔軟な対応をして、単位を取った」それでよかったじゃないか、と。
そんなこともあったなぁ~という、私の大学時代の思い出話でした。
以上、「大学時代、クセのある先生の授業を受けていました」でした。
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