2017年6月3日、今日も名古屋栄のドトールコーヒーに来ている。
栄に来たら、だいたい朝はドトールコーヒーだ。
いつもどおりアメリカンコーヒーを頼んで、席につく。
ドトールコーヒーの名古屋栄店は、一階と二階があって、決まって私は二階に行く。
二階の一部の席が、コンセントが使えるからだ。
コンセントのある席は、たぶん10席。
そのうちの4席がすでに埋まっていた。
競争率は高い。
他のお客さんと隣合わない席が空いていたので、そこに座った。
やっぱり、両隣に人がいるのは、ちょっと気が引けてしまう。
電車でも、座席は隅っこに座りたがる。
それは、隣の一方だけは人がいない方が気楽だからだ。
そんな性分だからか、人と人が密に繋がることは、私は苦手なほうだ。
あんまりずっと一緒に誰かといると、息が詰まる思いがする。
ひとりでいたい気分は、常にある。
けど、ずっとひとりぼっちも、それはそれで寂しいもんだ。
この、付かず離れずの微妙な人間関係が、あんまり得意じゃないので、寂しい方を私は選んでいる。
だからか、メンタルはちょっと病んでいる。
ひとりになると、色んなことを考える。
考えることは、希望とか期待とか、将来に向かってポジティブな気持ちになることと、その逆、不安や心配のようなネガティブなこと。
比率だとポジティブ2とネガティブ8。
圧倒的にネガティブであり、だからメンタルがおかしくなるんだと自分でも思う。
ひとりぼっちは好きだけど、そのままだとやっぱり人生は尻すぼみなふうにしかならないような気がする。
希望が少ないというか、余計な心配に押しつぶされそうになるからだ。
そこで、やはり人との親交は必要だと思う。
人との親交がまったくないわけじゃないけど、なんか遠いところにある。
それは、場所的なこともそうだけど、人と接しようする欲からも遠い。
人と接するのは、ハードルが高いなぁという思いがある。
実際、大学時代の友達は東京にいて、年に数度くらいしか会えていない。
高校時代の友達は地元にいるから、会おうと思えば、会えるんだけれど会おうとしない自分がいる。
だったら、ひとりでいいやって。
だから、ダメなんだのくりかえし。
とは言うものの、重い腰を上げて、今度東京に友達に会いに行く。
友達は、私と会うことに喜んでくれているようで、ほっとしている。
仲の良い友達なので、いさかいが起こるとかの心配はまずない。
会って話すぐらいなのだから、別に気にせず会おうと言えばいいんだよね。
それがなかなかハードルが高く思えてしまうのは、たぶんひとりぼっちに満たされまくっているからだ。
どこか、私はひとりぼっちを楽しんでいるきらいもある。
ひとりぼっちは不安や心配の起こりやすい環境だけど、それでも良いと思ってる気がする。
それでは、つまらん!
やはり現状の打破というのは必要だ!
その思いも、あるのだ。
その思いを大きくしていきたいな…と思う。
情けないけど。
phaさんの「しないことリスト」の中に、「孤立しない」ということが書いてあった。
確かに、この社会は多数派向けの社会かもしれないけど、私のようなそんな社会から離れてメンタルをおかしくしている人だって、人と交流することは、必要な気がする。
特にメンタルを病んでいる人がひとりでいると、人としてあるまじき極端な行動をとりがちだからだ。
それを防ぐためにも、小さくてもコミュニティとかグループのような人の集まりの中に、いたほうが良さそうな気がする。
ひとりでいたら、できなかったことができる気もする。
なんか希望的なことに思えてきた。
そんなことを考えていたら、いつの間にか、アメリカンコーヒーは冷めていた。
以上、「土曜の朝、ドトールコーヒー名古屋栄店にて。ひとりぼっちの葛藤」でした。
関連記事: